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中国撤退から台湾再起へ|くら寿司が示す海外進出リスタート戦略

公開 2025年11月11日
小川 陽子

著者紹介 :小川 陽子 (代表取締役)

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World map with red location pins and Japanese text reading 'Kura Sushi's Overseas Expansion

国内に500店舗以上を構える回転寿司チェーン、くら寿司。

2020年代に入り、同社はグローバル展開を加速させています。

中国撤退という苦い経験を経て、2023年には台湾・高雄に初の「グローバル旗艦店」をオープン。

海外進出を“再挑戦”として再構築する姿勢が注目されています。

なぜ、最初の進出先が台湾ではなく中国だったのか。

そして、撤退を経てどのように経営判断を見直し、成功へとつなげたのか。

本記事では、くら寿司の海外進出戦略を「失敗からの学び」として紐解きながら、中小企業でも実践できる再挑戦型の海外展開モデルを考察します。

くら寿司の海外進出の背景と判断

くら寿司が海外進出を本格的に検討し始めたのは、2010年代半ば。

背景には、国内市場の成熟と人件費の上昇がありました。

外食産業全体が伸び悩む中で、同社は早くから「回転寿司のシステムそのものを輸出できる」と判断し、スシローやはま寿司に先行する形で海外展開に踏み切ります。

もっとも、回転寿司という“仕組み”そのものは、実は1990年代からすでに海外に渡っていました。

寿司ロボットやコンベアレーンなどを製造する日本の機械メーカーが、米国のレストラン向けに設備を輸出・据え付けしていたのです。

つまり、「技術輸出」は1990年代に始まり、「ブランド輸出」は2000年代後半に始まったというのが実情です。

この技術の先行があったからこそ、2008年にくら寿司がアメリカ法人を設立し、カリフォルニアで直営1号店を開業した際には、現地でも「本場日本式回転寿司」として高い注目を集めました。

一方で、アメリカ市場が安定軌道に乗ると、次の成長先として同社が目を向けたのがアジア圏でした。

最初の進出先に選ばれたのは中国・上海。

市場規模の大きさ、外食需要の高さ、そして「日本食=高品質」というブランドイメージが理由でした。

進出当時は中国の日本食レストラン数が右肩上がりで増加しており(日本貿易振興機構報告、2016年)、くら寿司はその波に乗る形で2019年に現地1号店を開設します。

ただし、社内では当初から台湾進出を支持する声もありました。

台湾は親日文化が根づき、寿司文化も受け入れられていたためです。

それでも、中国の市場規模を優先した判断は、大企業らしい「スケール優先型の戦略」でした。

結果的に、この決断はコロナ禍と処理水問題の影響で厳しい局面を迎えますが、くら寿司はこの経験を“失敗”ではなく、「現地適応を見直す機会」として再定義。

その姿勢が、のちの台湾展開という「再挑戦」へとつながっていきます。

なぜ中国で失敗したのか|独立資本が抱えた“現地化の壁”

くら寿司が中国・上海に進出したのは2019年。

当時は日本食ブームがピークを迎え、現地外食市場では寿司チェーンが次々と参入していました。

しかし、開業からわずか数年で撤退に至ります。

コロナ禍や処理水報道の影響もありましたが、根本要因は経営構造と現地対応の遅れにありました。

第一の要因は、現地企業との合弁を組まず、日本側が単独で運営していた独資体制でした。

くら寿司は「日本式オペレーションをそのまま再現する」方針を取り、土地取得からスタッフ採用、物流、マーケティングまですべて自社主導で進めました。

一方、現地で既に数十店舗を展開していたスシローは、現地企業との合弁会社を設立し(あきんどスシロー51%出資)、行政対応や消費者分析をパートナーと分担していました。

この違いが、制度対応や市場情報の速さに大きな差を生みました。

結果的に、くら寿司は制度・商慣習・文化差を「独力」で吸収する必要があり、柔軟性を欠いたのです。

第二の要因は、立地戦略の違いです。

スシローが広州・成都・武漢などの中間層マーケットで、リピート需要を重視した出店を進めたのに対し、くら寿司の中国1号店は、上海・中山公園駅直結の大型商業施設「龍之夢購物中心」7階。

高コストな一等地で、観光客や若年層が多く、日常利用より“話題性”が先行する立地でした。

結果として固定客の獲得が難しく、採算性が悪化したと考えられます。

第三の要因は、人材とオペレーションの負担です。

独資体制では、現地スタッフ教育や品質管理を日本式の自社ノウハウで担う必要があり、難易度は高いものでした。

現地スタッフの離職も多く、安定運営には時間を要していました。加えて、同時期に人件費や食材調達コストも上昇。

そこへパンデミック期の物流停滞や、処理水報道による日系ブランドへの逆風が重なり、店舗の収益構造を立て直すことは極めて困難な状況だったのです。

この経験は、くら寿司にとって「どの国に出るか」以上に、“誰と組むか”が海外事業の成否を左右することを示しました。

中国撤退は、単なる需要予測ミスではなく、現地理解と連携の欠如がもたらした構造的な失敗だったのです。

この教訓が、のちの台湾での再挑戦戦略へとつながっていきます。

(出典:日経クロストレンド、流通ニュース、JETRO「中国外食市場動向」、くら寿司IR資料、香港経済日報)

台湾での再挑戦|親日市場で磨かれたブランド戦略

中国からの撤退後、くら寿司が次の挑戦の地として選んだのが台湾でした。

2023年11月、高雄にオープンした「グローバル旗艦店」は、単なる出店ではなく、海外事業そのものを再設計する試みだったのです。

台湾市場を選んだ理由は、“親日”という感情面にとどまりませんでした。

台湾は日本企業にとって独資でも運営しやすい制度・商環境が整っている市場で、土地取得や許認可、物流、人材採用などのハードルが中国より低く、外資企業でも安定的にオペレーションを回せる環境が整っていたのです。

つまり、同じ中国語圏でありながら、独資でも現地インフラと文化的理解度がまったく異なる市場構造だったということです。

加えてくら寿司はここで、中国での反省を踏まえ、「日本式をそのまま持ち込む」のではなく「現地の文脈に翻訳して伝える」方向に転換していました。

メニューには台湾の嗜好を取り入れた炙り寿司や黒糖タピオカデザートを導入し、店内には木目や和紙を使った温かみのある内装を採用するなど、

“清潔で安心”という日本ブランドの強みを保ちながら、ハイテクとぬくもりを両立させた空間づくりを実現していたのです。

また、くら寿司は台湾現地法人を通じて、現地スタッフの登用と教育体系の再構築を進めていました。

日本式の衛生・品質基準を維持しながら、現地スタッフが接客の主体となり、“日本式おもてなし”と“台湾の親しみやすさ”を融合させる運営体制を整備。

その結果、独資でありながら実質的には“現地主導のオペレーション”を確立することができました。

この取り組みは、単なるローカライズではなく、経営構造を変えずに「現地理解を制度化した」点に意義がありました。

くら寿司の台湾モデルは、合弁しないことのメリットとデメリットを見極め、くら寿司本来の強みを現地経営に活かせる基盤を作り込むことで、持続的な海外展開が可能であることを示した新しいベストプラクティスの一つになったのです。

(出典:くら寿司台湾公式サイト、日経MJ、JETRO台湾レポート、FNNプライムオンライン)

“ローカライズ”だけで終わらせないデジタル活用と体験設計

台湾でのくら寿司の成功を支えていたのは、単なるメニューや空間のローカライズではありませんでした。

同社が磨いてきたデジタル技術とオペレーション設計力が、現地での体験価値を高める中核になっていたのです。

くら寿司は早くから自動化と情報管理を組み合わせた店舗運営を進めており、海外展開でもその強みを活かしていました。

代表的なのが、注文タブレット、無人レーン、食器自動回収システムなどを統合した「スマートオペレーション」。

これらは単に省人化のためではなく、データを通じて顧客の動線や滞在時間を分析し、体験を最適化する仕組みとして設計されていました。

台湾ではこのシステムを、現地スタッフの働き方や消費行動に合わせて再調整していました。

たとえば、待ち時間を可視化するスマート予約アプリの導入や、LINE公式アカウントと連携したポイントプログラムの展開など、現地で主流のデジタル接点を取り入れることで、再来店率を高める仕組みを構築していたのです。

また、台湾の消費者は「LINE Pay」や「LINE Points」など、LINE経済圏への依存度が日本以上に高く、LINE連携は生活インフラとして機能していました。

くら寿司はこの文化に合わせ、予約アプリを中国語UI・繁体字対応・現地サーバー仕様へと最適化し、
デジタル施策を“日本から持ち込む”のではなく、“現地で再設計する”アプローチに転換していたのです。

また、「ビッくらポン!」などのガチャ要素も台湾仕様に調整されていました。

現地アニメや人気キャラクターとのコラボを行い、日本では子ども向けだった仕掛けを“大人も楽しめるエンタメ体験”に転換していました。

このように、同社はテクノロジーを「文化の壁を越える翻訳ツール」として活用していたのです。

重要なのは、これらの仕組みが本社主導ではなく、現地チーム主導で改善されていた点でした。

顧客アンケートやSNS上の反応を即時に共有し、店舗運営・商品開発・マーケティングの各チームが連携して小さな改善を繰り返していました。

これは中国進出時には不足していた“現地の声を経営に反映する仕組み”の再構築だったと言えます。

台湾でのくら寿司は、ローカライズを“完成形”ではなく“進化のプロセス”として捉えていました。

テクノロジーを活かし、現地の消費者理解をデータで裏づける。この姿勢が、同社の再挑戦を支えたもう一つの柱だったのです。

(出典:くら寿司台湾公式サイト、FNNプライムオンライン、日経MJ、ITmediaビジネスオンライン)

くら寿司の海外ブランド戦略と文化適応

くら寿司の海外展開で特筆すべき点は、現地ローカライズを進めながらも、「日本らしさ」を軸にしたブランド一貫性を維持していたことでした。

それは単なる寿司チェーンではなく、「清潔・安全・安心」という日本式価値観を体験として伝える戦略でした。

同社は台湾展開において、店舗のどこにいても“日本のくら寿司である”と感じられるブランド体験を意図的に設計していました。

店舗のサインやロゴはグローバル共通仕様を維持し、内装も木目調や藍色を基調にするなど、視覚的な統一感を保っていたのです。

一方で、現地メニューやキャンペーンは台湾の生活文化に寄せており、「グローバル旗艦店」という言葉が示すように、“日本のDNAを持つ現地ブランド”として位置づけられていました。

この考え方は、近年のグローバル飲食ブランドが直面するテーマ

——「どこまで現地化し、どこまで自国文化を保つか」——

に対する一つの回答でした。

くら寿司の場合、現地化の中心は“味やメニュー”ではなく、“体験の意味づけ”でした。

たとえば、回転レーンは中国では“機械的”と捉えられましたが、台湾では「清潔・正確・安心を体現する日本的システム」としてブランド価値に転化されていたのです。

さらに、同社はSNSやインフルエンサーを通じて、ブランドストーリーの発信にも力を入れていました。

日本からの一方的な広告ではなく、台湾現地のスタッフや顧客が撮影した店舗風景を共有し、“現地の人が語る日本ブランド”という共感構造を生み出していました。

この「ブランドの現地化コミュニケーション」は、従来のマス広告では得られなかった信頼を築いていたのです。

結果として、くら寿司は“日本発グローバルブランド”の新しい在り方を提示していました。

それは、「文化を輸出する」のではなく、「文化を共創する」という姿勢でした。

日本らしさを残しながら、現地スタッフと顧客の手でブランド体験を更新していく。

この柔軟なブランド戦略こそが、くら寿司の海外進出を持続可能にしていたのです。

(出典:くら寿司台湾公式サイト、日経MJ、FNNプライムオンライン、マーケティング研究所レポート)

中小企業が学べるポイント|現地最適化の進め方

くら寿司の海外進出が示していたのは、「撤退は終わりではなく、次の戦略を練る始まり」だったということです。

中国市場での経験は失敗ではなく、再挑戦の設計図になっていました。

この姿勢から、中小企業が学べる実践的なポイントは以下の三つです。

① 市場選定は「感情」ではなく「構造」で判断する

  • 台湾を選んだ理由は「親日だから」ではなく、外資が運営を成立させやすい構造的条件にありました。
  • 比較すべきは、
    • 法制度(外資規制・許認可の難易度)
    • 人材流動性・雇用慣行
    • 物流・商環境の整備度
    • 消費者の購買力と再来店率
  • 中小企業が海外市場を選ぶ際も、「進出可能性」と「持続可能性」の2軸で評価することが重要です。

② 日本式をそのまま輸出せず「現地の文脈に翻訳する」

  • くら寿司は台湾で、日本式の品質・清潔感を守りながらも、現地の感性で再構築していました。
  • 中小企業に必要なのは、
    • 現地の人がその商品をどう使うか・どう感じるかの想像力
    • 現地の「体験の言語」に合わせた表現やデザインの調整
  • “同じ品質”でも、“伝わり方”が違えば評価は変わる。
    → 「現地の言葉で価値を伝える」ことがローカライズの第一歩です。

③ 現地理解を「仕組み化」して継続的にアップデートする

  • 台湾では、独資でも現地スタッフが主導する運営体制を整えていました。
  • デジタルツールで顧客の声を即時に共有し、改善を常態化。
  • 中小企業でも応用できる方法:
    • 現地代理店・取引先との定例共有会
    • 販売現場の声を集めるレポートテンプレート
    • SNSのコメント分析や翻訳モニタリング
  • 重要なのは、「人」ではなく「仕組み」で現地理解を回すこと。

海外進出は一度の挑戦で終わるものではありません。

大切なのは、修正と再挑戦を前提とした設計を持つことでした。

くら寿司の事例は、撤退を恐れずに次の戦略を描く企業がどのように成長を遂げられるかを示していました。

中小企業にとっても、現地の声を数字と仕組みで捉えることが、成功への近道なのです。

(出典:JETRO台湾レポート、経済産業省外食産業動向、日経クロストレンド)

まとめ:くら寿司が示す海外展開の本質は“やり直す力”

くら寿司の海外展開は、初めから順風満帆だったわけではありませんでした。

中国での撤退という現実は、経営判断や現地理解の重要性を痛感する出来事だったのです。

しかし同社は、失敗を「撤退」ではなく「再設計の機会」と捉え、台湾という新たな市場で再び挑戦しました。

このプロセスが示していたのは、海外進出の本質が「他社が成功している国に自社の強みを当てはめること」ではなく、

「再挑戦を可能にする社内構造の柔軟性」と「強みを再構築する力」を兼ね備えることの重要性にあるという点でした。

くら寿司は、中国で得た学びを組織知として蓄積し、現地理解をデータ化し、文化の翻訳をブランド戦略として再構築していました。

その結果、台湾では独資のまま持続的な成長を実現し、グローバル旗艦店という形でブランドを進化させたのです。

中小企業にとっても、海外展開は一度きりの勝負ではありません。

重要なのは、現地での反応を迅速に検証し、軌道修正できる柔軟な体制を持つことです。

撤退を恐れず、経験を資産化できる企業こそが、次の挑戦で成果をつかんでいます。

くら寿司の事例は、「現地に合わせる」のではなく、「現地と共に進化する」発想の大切さを教えてくれました。

海外展開は単なる販路拡大ではなく、企業そのものを成長させるリスキリングの機会なのです。

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小川 陽子

著者紹介 :小川 陽子 (代表取締役)

英語英文学科を卒業後、中小メーカーの国際部で海外営業に従事後独立。27年以上にわたり、1,900社以上の中小企業の海外展開を支援。国際化支援アドバイザー、海外販路開拓アドバイザー、中小企業アドバイザー(経済産業省系組織)としても活動。

これまでに35カ国での商談・出展・調査を経験。支援対象は製造・小売・サービス・B2B・B2C・D2Cなど多岐にわたり、海外投資・輸出・輸入・展示会・海外SEOなど幅広く対応。

「海外進出は"急がば回れ"。場当たりではなく、"自走できるチカラ"を社内で育て、未来の世界市場で誇れる一社を目指して——今日も中小企業の現場で伴走支援を続けています。」

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