任天堂といえば、マリオやゼルダ、どうぶつの森など、世界中で知られるゲームやキャラクターを生み出してきた日本企業です。
1980年に米国法人Nintendo of Americaを設立し、1985年には米国でNintendo Entertainment System(NES)を発売。
その後、欧州やアジアへと事業を広げ、現在ではゲームだけでなく、映画やテーマパークなどにもIPを展開しています。
では、任天堂はどのように海外市場を開拓し、世界中に顧客を広げてきたのでしょうか。
この記事では、任天堂の海外進出を振り返りながら、海外市場で何を変え、何を変えずに展開してきたのかを見ていきます。
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日本で売れたファミコンを、アメリカでどう売るか
任天堂は1980年にNintendo of Americaを設立し、1985年に家庭用ゲーム機「Nintendo Entertainment System(NES)」をアメリカで発売しました。
しかし当時のアメリカは、日本とはまったく異なる市場環境にありました。
1980年代前半、北米の家庭用ゲーム市場は急速に縮小し、小売店にとってゲーム機は積極的に扱いたい商品ではなくなっていました。
つまり任天堂が最初に直面したのは、「日本で売れたファミコンを、アメリカでも売ればよい」という状況ではなかったのです。
市場が冷え込んだアメリカでNESを発売
任天堂は1985年、まずニューヨークでNESのテスト販売を開始しました。
日本のファミコンをそのまま持ち込むのではなく、外観や名称を変更し、R.O.B.(ロボット)や光線銃Zapperなどを組み合わせた商品構成も用意しました。
また、ゲーム機を扱うことに慎重だった小売店に商品を置いてもらうため、Nintendo of America側が店頭展開を支援し、売れ残った商品のリスクを負う販売条件も提示したとされています。
1985年当時のNES展開が、北米ゲーム市場が大きく落ち込んだ後に行われたことは、当時の資料を収集したスミソニアンの記事からも確認できます。
その後NESは全米へ展開され、『Super Mario Bros.』も世界的なヒットとなりました。任天堂公式沿革では、1986年にはNESを欧州でも発売したことが記録されています。
任天堂が変えたのは、商品そのものだけではない
この事例で注目したいのは、任天堂が日本の商品を単に英語化して輸出したのではないことです。
市場の状況を見ながら、
- 商品の名称や外観
- 商品構成
- 店頭での見せ方
- 小売店に取り扱ってもらうための条件
まで、現地市場に合わせて組み立てています。
海外進出では、日本で売れている商品であっても、「現地では誰が、なぜ、どのように買うのか」から販売方法を考え直す必要があります。
任天堂の北米進出は、そのことがよく分かる事例です。
成功理由① 翻訳ではなく現地の人が自然に楽しめるところまで変える
任天堂のローカライズは、日本語を外国語に翻訳するだけではありません。
たとえば『あつまれ どうぶつの森』には、お弁当の話の中で「タコさんウィンナー」が登場します。
これをそのまま英語にすれば「octopus sausages」ですが、英語圏では日本ほど馴染みのあるお弁当のおかずではありません。
そこで英語版では、ピクニックで馴染みのある「apple」や「sandwiches」に置き換えています。
変えたのは言葉ではなく、その会話を聞いたプレイヤーが受け取る感覚です。
日本のプレイヤーが「普通のお弁当の話」として受け取る場面なら、海外のプレイヤーにも同じように自然な会話として伝わるようにする。
任天堂は採用情報の中でも、ローカライズについて、各地域の文化に合わせながら
「まるではじめから自身の国で作られたゲーム」
のように感じてもらうことを目指していると説明しています。
日本文化を消すのではなく、あえて残すこともある
一方で、何でも現地仕様に置き換えているわけではありません。
たとえば『あつまれ どうぶつの森』では、日本の「年越しそば」やスペインなどで見られる「12粒のぶどう」など、世界各地の年越し文化をゲーム内に取り入れています。
さらに、通信機能によって海外のプレイヤーの島を訪れたり、アイテムを交換したりすることで、自分の国にはない文化にもゲームを通じて自然に触れられる仕組みがあります。
任天堂の開発者自身も、こうした設計をゲームを通じた「文化交流」につながるものとして語っています。
つまり任天堂は、海外の人に分かりにくいものを何でも現地仕様に変えているわけではありません。
現地で自然に伝わるように変えるものがある一方、その国ならではの文化として、あえて残すものもある。
ローカライズとは、すべてを現地化することでも、日本のものをそのまま押し通すことでもありません。
何を変えれば価値が伝わり、何を残せば商品の魅力になるのか。
任天堂のローカライズを見ると、その判断こそが重要だと分かります。
成功理由② IPを貸すだけではなく、自ら関わって世界へ広げる
任天堂の海外展開を考えるうえで欠かせないのが、マリオやゼルダなどのIP(知的財産)です。
ゲームが世界で売れるだけでなく、映画、テーマパーク、グッズなどへ接点を広げることで、ゲームを遊ばない人にも任天堂のキャラクターを知ってもらう機会を増やしています。
任天堂はこうした取り組みを、「任天堂IPに触れる人口の拡大」と表現しています。
映画でも、IPを貸して終わりではない
2023年公開の『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』では、任天堂がキャラクターの使用を許諾しただけではありません。
任天堂代表取締役フェローの宮本茂氏が、イルミネーションのChris Meledandri氏とともにプロデューサーを務め、任天堂自身も制作に出資しました。
任天堂はその後のIR資料でも、映像展開について、単にIPをライセンスするのではなく、企画・開発から制作まで深く関与する方針を説明しています。
つまり、自社の大切なIPを海外企業に渡して「うまく使ってください」と任せるのではなく、自社も作り手として参加しながら、新しい市場へ広げているのです。
IPを守ることと、広げることを両立する
海外展開では、自社の商品やブランドを現地企業に任せる場面が増えます。
しかし、販売地域を広げるほど、自社が大切にしてきた価値が意図しない形で伝わるリスクもあります。
だからといって、すべてを自社だけで行えば海外展開のスピードには限界があります。
任天堂のIP展開から見えるのは、「任せるか、自社でやるか」の二択ではないということです。
外部企業の力を借りながら、自社が守るべき部分には深く関与する。
これはゲームやキャラクターだけではなく、技術、ブランド、デザインなど、自社固有の価値を持って海外へ展開する企業にも参考になる考え方です。
成功理由③ 世界共通の戦略と、地域ごとの市場対応を分ける
任天堂は世界各国で事業を展開していますが、国ごとにまったく別の戦略を取っているわけではありません。
岩田聡元社長は2006年、米国市場について質問された際、**「戦略が国ごとにバラバラというのでは会社として何をやっているのかわからない」**として、「ゲーム人口拡大」という戦略は世界共通だと説明しています。
一方で、市場の状況まで世界共通とは考えていません。
実際、ニンテンドーDSの普及では、日本、米国、欧州で市場の変化が現れる時期が異なりました。任天堂はその理由について、もともとのゲーム人口や市場特性、商品の投入時期などが国によって違うためだと分析しています。
同じ戦略でも、売り方まで同じにはしない
これは海外展開を考えるうえで重要な違いです。
会社として目指す方向まで国ごとに変える必要はない。
しかし、その実現方法は市場を見ながら変える。
現在も任天堂は、日本本社と米国・欧州・豪州・アジアなどの販売子会社が連携しながら、各国の文化・慣習や市場動向に対応して販売を進める体制を取っています。
海外進出というと、「現地に合わせる」ことばかりに目が向きがちです。
しかし、何もかも現地に合わせればよいわけではありません。
自社として世界共通で守るものは何か。
市場ごとに変えてよいものは何か。
その境界を決めたうえで現地市場を見る。
任天堂の海外展開から見えるのは、単なる「現地任せ」ではなく、世界共通の戦略と地域ごとの実行を分けて考えることの重要性です。
成功理由④ ゲームをする人だけを顧客にしなかった
任天堂が長年掲げてきた基本戦略の一つに、「ゲーム人口の拡大」があります。
対象にしたのは、すでにゲームが好きな人だけではありません。
ゲームから離れてしまった人、これまでゲームをしたことがない人まで含めて、年齢・性別・ゲーム経験を問わず、ゲームを楽しむ人を増やそうと考えていました。
「誰がゲームをしていないのか」まで調べた
任天堂は2005年から日本で定期的に生活者調査を行い、
- 現在ゲームをしている人
- 以前はしていたが、今はしていない人
- これまでゲームをしたことがない人
に分けて、ゲーム人口を調べていました。
米国でも2007年から調査会社を使い、4,500人以上を対象とした調査を実施しています。
つまり見ていたのは、「競合メーカーからどう顧客を奪うか」だけではありません。
そもそもゲームをしていない人は誰なのか。
なぜ遊ばないのか。
どうすればその人たちにもゲームを楽しんでもらえるのか。
市場そのものを広げようとしていたのです。
実際、WiiやニンテンドーDSでは、一台を何人が利用しているかという「世帯あたりユーザー数」まで調査し、米国についても「家族全員にとってゲームが関係のあるものになる」ことをゲーム人口拡大につながるものとして説明しています。
海外進出でも、競合企業だけを見ていると、すでに存在する市場の奪い合いになりがちです。
しかし、
今は自社の商品を買っていない人は誰なのか。
その人は、なぜ買っていないのか。
何が変われば顧客になるのか。
まで見ると、市場の見え方は変わります。
任天堂の「ゲーム人口の拡大」は、既存顧客だけではなく、まだ顧客になっていない人まで市場として見るという点で、中小企業の海外展開にも参考になる考え方です。
ここまで読んで、
「海外展開は、思いつきではなく設計が重要だ」と感じた方へ。
任天堂のように成果を出している企業ほど、進出前の“戦略整理”に多くの時間をかけています。
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成功理由⑤ 競合と同じ土俵で戦わず、自社の強みを磨く
任天堂の海外展開では、常に強力な競合が存在してきました。
1990年代前半の北米ではセガが存在感を高め、その後1995年にはソニーのPlayStationが北米で発売され、ゲーム市場の競争環境も大きく変わっていきました。
しかし任天堂は、競合と同じ方向へ進むことだけを考えていたわけではありません。
高性能を競うだけではなく「遊び方」を変える
その姿勢がよく表れたのが、ニンテンドーDSやWiiです。
任天堂は、ゲーム機の性能や映像表現だけを競うのではなく、DSではタッチスクリーン、Wiiでは体を動かして操作するWiiリモコンなど、それまでゲームに馴染みのなかった人でも触ってみたくなる遊び方を提案しました。
これは④で紹介した「ゲーム人口の拡大」ともつながっています。
既存のゲームファンを競合企業と奪い合うだけではなく、子ども、親、シニア層など、それまでゲームとの距離があった人にも市場を広げようとしたのです。
海外市場でも「競合と違う価値」をつくる
海外へ進出すると、現地で売れている競合企業が目に入ります。
すると、
「競合と同じ機能を付けよう」
「現地で売れている商品に似せよう」
「競合より安くしよう」
と考えがちです。
しかし、それだけでは後発企業ほど価格や規模の競争に巻き込まれます。
任天堂の事例から参考になるのは、競合を見ることと、競合と同じことをすることは違うという点です。
現地市場と競合を知ったうえで、
自社だから提供できる価値は何か。
競合とは違う方法で、顧客を増やせないか。
を考える。
これは企業規模にかかわらず、海外市場で自社のポジションをつくる際に重要な視点です。
成功理由⑥ 失敗しても、挑戦そのものを捨てなかった
任天堂にも、海外市場で大きく苦戦した商品があります。
その代表例が、1995年に日本と北米で発売された「バーチャルボーイ」です。
任天堂の岩田聡元社長自身、後にバーチャルボーイについて「商業的にいえば、失敗した」と振り返っています。
ところが任天堂は、その失敗を理由に3D技術そのものを諦めませんでした。
商品そのものだけでなく「どう売るか」にも問題があった
宮本茂氏は後年、バーチャルボーイについて興味深い振り返りをしています。
宮本氏自身は、これを大規模なゲームプラットフォームというより、立体映像を楽しむ「おもしろいおもちゃ」として捉えていました。
しかし実際には、ゲームボーイなどと同じようなゲームプラットフォームとして市場から期待されました。
さらに、専用機器を覗き込んで遊ぶため、実際に遊んでいる姿や商品の面白さを広告で魅力的に伝えることも難しかったとしています。
宮本氏は、商品自体が間違っていたというより、「商品の位置づけが間違っていたのではないか」と振り返っています。
これは海外進出でも起こり得ます。
商品そのものに問題がなくても、
誰向けの商品なのか、
どんな価値として見せるのか、
どこでどう売るのか
を間違えれば、市場から期待した評価を得られないことがあります。
失敗から「次にやらないこと」を決める
さらに面白いのは、その後です。
任天堂はバーチャルボーイで3D商品の難しさを経験した後も、3D技術への挑戦を続けました。
ゲームキューブやゲームボーイアドバンスSPの時代にも試作を重ね、最終的にニンテンドー3DSへつながっていきます。
ただし、同じことを繰り返したわけではありません。
その過程で任天堂が明確にした条件の一つが、
「メガネは、なし」
でした。
宮本氏は、3Dを楽しむためにメガネやゴーグルを使わないことは「もう、決まってる」と語っています。
岩田氏も、バーチャルボーイでの経験があったからこそ、「3Dを実現するなら、専用のメガネやゴーグルを必要としないこと」が任天堂の中で明確な条件になったと振り返っています。
つまり、失敗したから3Dをやめたのではなく、失敗から条件を学び、次の挑戦の方法を変えたのです。
海外進出でも、一度うまくいかなかった国や販売方法を見て、「海外では売れない」と結論づける必要はありません。
一方で、同じ方法をそのまま繰り返しても意味がありません。
何が失敗したのかを分解し、次は何を変えるのかを決めて再挑戦する。
バーチャルボーイからニンテンドー3DSまでの長い試行錯誤は、任天堂の「失敗から学ぶ」を非常に具体的に示す事例です。
成功理由⑦ 海外拠点を「日本の商品を売るだけの場所」にしなかった
任天堂の海外展開では、Nintendo of America(NOA)をはじめとする海外拠点が重要な役割を担ってきました。
その象徴的な例が、北米でNESを発売した1980年代です。
当時の北米市場は、アタリショック後で家庭用ゲーム機に対する小売店の警戒が強く、日本で成功したファミコンをそのまま持ち込んでも、簡単には売り場を確保できない状況でした。
北米市場を見て、NOAが売り方を変えた
そこでNOAを率いた荒川實氏らは、ニューヨークでのテスト販売に際して、北米市場に合わせた販売方法を採りました。
ゲーム機として正面から売り込むだけではなく、R.O.B.や光線銃のZapperを組み合わせた「Deluxe Set」を用意し、当時ゲーム機に警戒していた小売市場へ入り込む方法を模索しました。
さらに、小売店に商品を置いてもらうため、NOA側が店頭ディスプレイの設置や管理まで担い、売れ残った商品についてもリスクを引き受ける条件を提示しました。
ここで重要なのは、日本で成功した販売方法を、そのまま北米へ持ち込まなかったことです。
北米の小売店が何を警戒しているのかを現地で把握し、その障壁を取り除く方法を考えました。
海外拠点があるだけでは、現地化にはならない
海外法人や代理店を置けば、自動的に市場に適応できるわけではありません。
日本本社が決めた商品、価格、売り方を海外拠点がそのまま実行するだけなら、現地に拠点があっても、市場との距離は縮まりません。
任天堂の北米展開から見えるのは、現地でしか分からない障壁を拾い、それを実際の販売方法に反映する役割を海外拠点が担ったことです。
海外進出では、
現地に誰を置くかだけではなく、その人や組織に何を見てもらい、どこまで判断してもらうのか。
ここまで設計して初めて、現地拠点を持つ意味が生まれます。
あなたの会社が学ぶべき「変える勇気」
任天堂の海外展開から見えてくるのは、「自社らしさを守ること」と「必要なものは変えること」の両立です。
そして、この考え方は大企業だけのものではありません。
むしろ、意思決定が速く、市場の反応を見ながら動き方を変えられることは、中小企業の強みにもなります。
日本で成功したやり方を、そのまま持ち込まない
任天堂の北米展開では、日本で成功したファミコンを、そのままアメリカで売ったわけではありません。
アタリショック後の北米では、ゲーム機そのものに対する小売店の警戒が強く、商品を置いてもらうことさえ難しい状況でした。
そこでNintendo of Americaは、名称や外観、商品の見せ方を北米市場向けに変え、R.O.B.やZapperを組み合わせたセットを用意。
さらに小売店側の在庫リスクを引き受ける販売条件まで提示しました。
変えたのは商品そのものだけではなく、「市場に受け入れてもらう方法」です。
海外では、日本でうまくいった販売方法や商習慣が、そのまま通用するとは限りません。
自社の強みまで捨てる必要はありませんが、その強みを届ける方法は、現地市場に合わせて変える必要があります。
「翻訳するもの」と「残すもの」を見極める
海外展開では、Webサイトやパンフレットを外国語に翻訳しただけで、「海外対応した」と考えてしまうことがあります。
しかし、任天堂のローカライズで見てきたように、必要なのは言葉だけの翻訳ではありません。
『あつまれ どうぶつの森』では、「タコさんウィンナー」のように、そのままでは文化的な背景が伝わりにくいものは現地の人に自然な表現へ置き換える一方、「年越しそば」のような文化そのものを楽しめるものは残しています。
何を変えれば価値が伝わるのか。
何を残すことが、自社らしさになるのか。
この判断は、BtoB企業でも同じです。
製品仕様、Webサイト、商談資料、価格の見せ方、見積・発注方法、保証やアフターサービスなど、海外企業が商品を知ってから購入を判断するまでの過程には、日本とは異なる前提があります。
単に日本語を外国語へ置き換えるのではなく、相手側から見て「理解できる、比較できる、判断できる」状態までつくることが必要です。
現地で起きていることから、自社のやり方を変える
任天堂の北米展開でNOAが果たした役割も、重要なヒントになります。
現地で商品が売れないとき、日本本社から見れば「商品の魅力が伝わっていない」と考えるかもしれません。
しかし現地へ行けば、
そもそも小売店が商品を置きたがらない、
顧客が商品の価値を理解できない、
売り方が市場に合っていないなど、
別の問題が見えてくることがあります。
海外代理店や現地スタッフを置く意味は、商品を売ってもらうことだけではありません。
現地で何が起きているのかを知り、その情報をもとに自社の商品や売り方を修正すること。
海外市場で成果が出ないときほど、「現地が分かってくれない」で終わらせず、自社側で変えられるものがないかを考える必要があります。
中小企業こそ「何を変え、何を変えないか」を決める
任天堂のやり方を、そのまま中小企業が真似することはできません。
世界各国に現地法人を置き、大規模な商品開発やマーケティングを行うための資金も人材も違います。
しかし、
日本での成功方法をそのまま持ち込まない。
現地に伝わる形まで変える。
市場の反応を見て、うまくいかなければやり方を変える。
それでも、自社が大切にする価値まで簡単には変えない。
この考え方は、企業規模に関係なく使えます。
海外進出で必要なのは、何でも現地に合わせることでも、日本式を押し通すことでもありません。
自社の何を守り、何を変えるのか。
任天堂の海外展開から中小企業が持ち帰るべきものは、個々の施策よりも、この判断軸ではないでしょうか。
自社の場合、「何を変えるべきか」を整理する
実際の海外進出では、
「自社の商品は海外でも通用するのか」
「どの市場から始めるべきか」
「代理店を探すべきか、直接販売すべきか」
「今のWebサイトや営業資料で海外企業に伝わるのか」
など、企業ごとに判断すべきことが異なります。
大企業の成功事例を参考にすることはできますが、最終的には自社の商品、市場、予算、人材に合わせて海外展開を設計する必要があります。
パコロアでは、30年以上にわたる海外ビジネスの実務経験とAIを活用した多角的な分析をもとに、自社の強み・ターゲット市場・販売方法・社内体制を整理し、優先して取り組むべき課題と海外展開の進め方を30ページ超の個別判定レポート「海外進出チェック」としてご提供しています。
「任天堂の事例は分かった。でも、自社なら何を変え、何から始めればいいのか」
そこを整理したい企業様は、「海外進出チェック」の詳細をご覧ください。
→ 自社分析レポート『海外進出チェック』の詳細を見る
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大企業の海外進出事例シリーズ
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