SaaSの海外展開では、英語化すれば海外で販売できるわけではありません。市場が変われば、顧客ニーズだけでなく、価格、契約・決済方法、販売方法、導入支援なども変わります。
一方で、最初からすべてを海外仕様にする必要もありません。重要なのは、自社のSaaSが「どの市場の、どの顧客に、どのような価値を提供できるのか」を見極め、必要な検証から順番に進めることです。
本記事では、SaaS企業が海外展開を検討するときに、最初に何を判断し、どの順番で進めればよいのかを実務の視点から整理します。
SaaSの海外展開は「どこで売るか」より先に考えることがある
SaaSの海外展開を考えるとき、最初に「アメリカか、アジアか」「どの国なら市場が大きいか」と進出先を探し始める企業は少なくありません。
しかし、その前に確認したいのが、自社のSaaSが海外でも同じ課題を解決できるのかという点です。
国内では当たり前に存在する業務フローや商習慣、社内制度を前提につくられたSaaSの場合、その前提自体が海外には存在しないことがあります。
反対に、日本では特定業界向けのニッチなサービスでも、海外に同じ課題を抱える企業が多ければ、新しい市場が見つかる可能性があります。
そのため、最初に整理したいのは国ではなく、次のような点です。
- 誰の、どの業務課題を解決するSaaSなのか
- その課題は海外企業にも存在するのか
- 現在の機能のまま提供できるのか
- 言語以外に変更が必要な部分は何か
- 海外でも対価を払ってもらえる価値があるのか
ここが曖昧なまま市場規模や競合を調べても、「市場は大きそうだが、自社がそこで何を売るのか」が決まりません。
SaaSの海外展開では、まず自社サービスのどの価値が海外でも成立するのかを見極め、その後に進出市場を絞っていく方が、判断しやすくなります。
SaaSの海外進出では「市場の大きさ」だけで進出先を決めない
自社SaaSの価値が海外でも成立しそうだと分かったら、次は進出する市場を絞っていきます。
ここで注意したいのが、市場規模や成長率だけで進出先を決めないことです。
SaaSは物理的な商品を輸送する必要がないため、「市場の大きいアメリカから」「英語圏なら展開しやすそう」と考えがちです。
しかし実際には、同じSaaSでも国や地域によって、競合環境、価格水準、商習慣、契約方法、必要とされる機能などが異なります。
そのため市場を比較するときは、単に「売れそうか」だけではなく、次のような点を確認します。
- 自社が解決する課題を持つ企業がどの程度存在するか
- すでに強い競合サービスがあるか
- 現在の価格や料金体系が受け入れられるか
- 顧客企業がどのようにSaaSを比較・選定しているか
- 契約や決済、データ管理などに大きな変更が必要か
- 自社の人員や予算で販売・運用を続けられるか
市場規模が大きくても、競争が激しく、多額のマーケティング費用や大幅なプロダクト改修が必要なら、中小企業にとって最初の市場として適しているとは限りません。
反対に、市場規模はそれほど大きくなくても、自社SaaSとの相性がよく、現在の体制で顧客獲得から運用まで検証できる市場なら、最初の一歩として有力な候補になります。
SaaSの海外進出では、「一番大きな市場」を探すのではなく、まず「自社が勝負できる条件がそろっている市場」を探すことが重要です。
SaaSの海外展開は「英語化」だけでは終わらない
進出市場を絞ったら、次に確認したいのが、現在のSaaSをどこまで海外向けに変更する必要があるかです。
ここで最初に思い浮かぶのは、Webサイトや管理画面の翻訳かもしれません。
しかしSaaSの場合、海外対応が必要になるのは言語だけではありません。
たとえば、次のような部分です。
- UIや入力項目、日付・住所などの表示形式
- 料金体系や表示通貨
- 支払い・請求方法
- アカウント登録やオンボーディング
- 利用規約やプライバシーポリシー
- データの保存・取り扱い
- ヘルプページや問い合わせ対応
実際、海外向けSaaSでは、価格・決済・オンボーディングなどもローカライズの対象になります。単に画面を翻訳するだけでは、購入や利用の途中に摩擦が残るためです。
SaaSの海外販売では「MoR」という選択肢もある
海外でSaaSを販売する際には、決済だけでなく、国ごとの税務対応や請求、返金などへの対応が必要になることがあります。
そこで選択肢の一つとなるのが、Merchant of Record(MoR)です。
MoRは、SaaS事業者に代わって販売主体となり、決済だけでなく、税務や請求など販売に伴う業務の一部を担う仕組みです。
ただし、すべてのSaaS企業にMoRが必要なわけではありません。
自社でどこまで対応するのか、外部サービスに何を任せるのかによって、海外販売の運用体制やコストも変わります。
海外展開を検討する際には、「海外から決済を受けられるか」だけではなく、「海外販売に伴う業務を誰が担うのか」まで確認しておくことが重要です。
ただし、これらを最初からすべて作り直す必要があるとは限りません。
問題は、「海外対応として何が必要か」を全部洗い出すことではなく、自社が狙う市場と顧客にとって、どこが利用や購入の障害になるのかを見極めることです。
たとえば、セルフサービスで契約するSaaSなら、料金表示や決済、登録後のオンボーディングが重要になるでしょう。
一方、営業担当者が商談し、企業ごとに契約して導入するSaaSなら、契約条件や導入支援、問い合わせ対応など、別の部分が重要になります。
つまり、「海外向けにどこまでローカライズするか」にも、すべてのSaaSに共通する正解はありません。
自社の顧客が、サービスを知り、比較し、契約し、実際に使い続けるまでの流れを追いながら、どこに海外展開の障害があるのかを確認することが重要です。
SaaSの海外展開ではGTM(Go-to-Market)を国内の延長で考えない
海外向けのプロダクトを整えても、それだけで顧客が増えるわけではありません。
次に必要になるのが、海外でどのように顧客と出会い、契約までつなげるのかというGTM(Go-to-Market)の設計です。
GTMとは、簡単にいえば「誰に、どのような価値を、どのような方法で届け、顧客になってもらうのか」を設計することです。
SaaSでは、サービスの内容や価格、導入の難易度によって、適した売り方が大きく変わります。
たとえば、Webサイトからユーザー自身が登録し、そのまま利用を開始できるサービスと、商談やデモ、社内稟議を経て導入される法人向けSaaSでは、必要な販売活動はまったく同じではありません。
海外で考えられる方法にも、
- Webサイトやコンテンツから問い合わせを獲得する
- 広告やSNSなどを通じて見込み顧客へ接触する
- 自社からターゲット企業へ直接アプローチする
- 現地の販売パートナーを活用する
- 業界イベントや展示会などで顧客候補と接点をつくる
などがあります。
重要なのは、これらをすべて実施することではありません。
自社SaaSの顧客は誰で、購入までにどのような検討が必要なのか。その顧客へ到達するには、どの方法が現実的なのかを考えることです。
日本で紹介営業が中心だった企業が、海外でも同じ方法で顧客を獲得できるとは限りません。
反対に、日本では営業担当者が説明して販売しているサービスでも、海外展開を機に、Webサイトやデモ、導入資料などを整え、顧客自身がある程度まで検討できる販売プロセスへ変える必要が出てくることもあります。
また、現地パートナーを利用する場合でも、「パートナーを見つければ売ってもらえる」とは限りません。
誰をターゲットにするのか、何を強みとして伝えるのか、見込み顧客をどう獲得するのか。
その部分まで相手任せにすると、なぜ売れたのか、なぜ売れないのかが自社に残らなくなります。
SaaSの海外展開では、販売チャネルを選ぶこと以上に、顧客がサービスを知ってから契約するまでの流れを、自社としてどうつくるのかが重要です。
SaaSの海外進出で見落とされがちなインフラ設計
海外展開では、市場や販売方法に目が向きやすい一方で、後から問題になりやすいのがインフラです。
SaaSは、海外からWebサイトにアクセスできれば、そのまま世界中で提供できるとは限りません。
顧客の所在地や業界、取り扱うデータによっては、データをどこに保存するのか、どの地域のサーバーを利用するのか、どの程度の通信速度や可用性が求められるのかといった条件が、導入判断に影響することがあります。
特に法人向けSaaSでは、顧客企業からセキュリティやデータ管理について確認されることもあります。
そのため、海外展開を検討する段階で、少なくとも次の点は確認しておきたいところです。
- 現在のインフラで進出予定地域へ安定してサービスを提供できるか
- 顧客からデータの保存場所を指定される可能性があるか
- 現在利用しているクラウドサービスで必要な地域に対応できるか
- セキュリティや障害対応について説明できる体制があるか
- 海外ユーザーの増加に伴って運用コストがどの程度変わるか
重要なのは、最初から世界各地にサーバーを用意することではありません。
反対に、顧客を獲得してから「現在の環境では契約条件を満たせない」と分かるのも避けたいところです。
どこまで対応してから市場に出るのか、どの段階でインフラへ追加投資するのか。
これも、進出国、顧客層、サービス内容によって判断が変わります。
SaaSの海外展開は「契約して終わり」ではない
SaaSの海外展開では、新規顧客の獲得だけでなく、契約後に継続して利用してもらえる体制まで考える必要があります。
製品を一度輸出して取引が完了するビジネスとは異なり、SaaSではサービスの提供が契約後も続きます。
導入時のオンボーディング、問い合わせ対応、障害時の連絡、機能アップデートの案内、契約更新など、顧客との接点も継続します。
特に海外では、言語だけでなく時差もあります。
日本の営業時間内だけで対応できるのか、英語で誰が問い合わせに対応するのか、技術的な質問が来た場合に誰へつなぐのか。
顧客が増えてから考えるのではなく、最初の顧客を獲得する段階から、どこまで対応できるのかを決めておく必要があります。
また、SaaSは利用状況や顧客からのフィードバックを、プロダクト改善につなげられることも特徴です。
海外で「この機能が使われない」「ここで離脱する」「この機能を追加してほしい」といった反応が得られたとき、それを単なる問い合わせとして処理するのか、次の改善判断に使うのかでも、その後の展開は変わります。
一方で、海外顧客の要望に一つずつ対応していけばよいわけでもありません。
一社の要望なのか、その市場に共通するニーズなのか。
対応することで他の顧客にも価値が生まれるのか。
開発コストに見合うのか。
海外顧客が増えるほど、こうした判断も必要になります。
SaaSの海外展開では、「どうやって最初の顧客を獲得するか」だけでなく、
「獲得した顧客をどう支え、その情報をどう次の成長につなげるか」までが海外事業です。
SaaSの海外進出では契約・データ・税務を後回しにしない
SaaSの海外展開では、顧客を獲得できる見込みが立ってから法務や税務を確認するのでは、遅いことがあります。
特に確認しておきたいのが、契約、個人情報・データ、税務です。
たとえば海外の企業と契約する場合、利用規約や契約書を英語にするだけではなく、準拠法、責任範囲、解約条件、知的財産の取り扱いなどを検討する必要があります。
また、サービス上で個人情報を扱う場合には、進出先や顧客によってGDPRをはじめとする各国・地域のデータ保護規制への対応が必要になることがあります。
どのようなデータを取得しているのか、どこに保存しているのか、第三者のサービスへどのようにデータを渡しているのか。
これは前述したインフラ設計とも切り離せない問題です。
さらに、海外から利用料金を受け取れるようになれば、それで販売体制が完成するわけでもありません。
販売方法や取引形態によっては、現地の税務、請求、決済、返金などについても確認が必要になります。
先ほど紹介したMoRを利用するのか、自社で対応するのかによっても、必要な体制は変わります。
重要なのは、海外展開を始める前に、世界中の法規制や税制をすべて調べることではありません。
自社が、
「どの国の、誰に、どのような方法でSaaSを販売するのか」
を絞ったうえで、その事業モデルに必要な確認事項を特定することです。
市場を広げれば、必要な対応も増えていきます。
だからこそSaaSの海外展開では、「売れそうだから進出する」だけではなく、契約からデータ管理、決済・税務まで含めて、自社がその市場で継続してサービスを提供できるのかを確認する必要があります。
SaaSの海外進出は「何から始めるか」で結果が変わる
SaaSは、物理的な商品を輸出する必要がないため、海外展開を始めやすいビジネスに見えます。
しかし実際には、英語版を公開したり、海外から決済できるようにしたりするだけでは、海外事業が成立するとは限りません。
ここまで見てきたように、SaaSの海外進出では、
- 自社が解決している課題は海外にも存在するのか
- どの市場なら自社が勝負できるのか
- プロダクトをどこまでローカライズするのか
- どのようなGTMで顧客を獲得するのか
- インフラやデータ管理は対応できるのか
- 契約後のサポートや改善を誰が担うのか
- 契約・税務・決済などに何が必要なのか
といった判断がつながっています。海外SaaSの実務でも、市場選定、ローカライズ、GTM、コンプライアンスなどを個別ではなく、順序をつけて設計することが重要とされています。
だからといって、最初からすべてを海外仕様に整える必要はありません。
むしろ重要なのは、自社の現在地から見て「最初に何を確かめるべきか」を決めることです。
すでに海外から問い合わせが来ているSaaSなら、その市場で本当に需要があるのかを検証することが先かもしれません。
国内向けの業務フローに深く組み込まれたSaaSなら、海外市場を探す前に、現在のプロダクトがどこまで海外でも成立するのかを確認する必要があるかもしれません。
プロダクトには問題がなくても、海外顧客を獲得するGTMや、契約後のサポート体制がボトルネックになる企業もあります。
同じ「SaaSの海外進出」でも、最初に解くべき問題は企業によって違います。
市場調査、英語化、広告、代理店探しなど、目についた施策から始めるのではなく、自社の海外展開を止める可能性が最も高い論点を見つける。
そのうえで、必要な検証から順番に進めることが重要です。
自社のSaaSは、海外進出のどこから考えるべきか
ここまで見てきたように、SaaSの海外進出では、市場選定、プロダクト、GTM、インフラ、サポート、契約・データ・税務など、複数の論点が関係します。
しかし、すべての企業が同じ順番で取り組む必要はありません。
すでに海外ユーザーがいる企業と、これから初めて海外市場を検討する企業では、最初に確認すべきことが違います。
プロダクトは海外でも十分に使えるのにGTMが決まっていない企業もあれば、販売方法を考える前に、プロダクトや契約、データ管理を見直した方がよい企業もあります。
そして難しいのは、一つの判断が他の判断にも影響することです。
「この国に進出したい」と決めれば、必要なローカライズや法規制対応が変わります。
「この顧客層を狙いたい」と決めれば、GTMや価格、サポート体制も変わります。
つまり、一般的な海外進出の手順を知るだけでは、「自社は何から始めるべきか」までは決まりません。
むしろ最初に整理したいのは、自社の海外展開において、いま最も重要な判断は何なのかということです。
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